完璧を求めてしまう! 完璧主義をやめる方法
■完璧になりたい悩み■
完璧になれないと悩む人はとても多いものです。
完璧に物事をこなせないと、
「自分の能力が低いのでは?」
「自分は価値が無い人間なのではないか?」
と、悩んでしまう人もいます。
完璧主義をやめるには、完璧が何なのかを知り、
完璧には出来ない、完璧の中にある矛盾に気が付く必要があります。
■人には個体差がある■
家族や友達や職場などで、人は完璧な行動を求められることがあります。
「こんなことも出来ないの?」
「一度言われたら覚えなさい」
「みんな出来ることだよ」
何気ない一言ですが、このように言われ続けると、
おかしな常識が頭の中に出来上がります。
言われている人の能力や性格などを考えると、
出来なくて当たり前な状態なのに、
「出来ないなんておかしい」
と言っていることがあります。
慣れていないことを行うときに、最初から上手く出来るはずはありません。
経験豊富な人と、経験の少ない人とでは、
何かを覚える感覚のスピードも違います。
過去の経験なども、覚えるスピードに大きな差を生みます。
人はみんな同じ感覚を持っているわけではなく、
微妙に異なる場合もあれば、大きく異なる感覚を持っている人もいます。
視力にしてもそうですが、視力の良い人と良くない人、
メガネの種類、自分がいる場所などの違いから、
同じものを見ても、同じに見えないこともあります。
同じに見えていないということは、認識も当然変わります。
なのに、
「すべて同じに見えなさい」
というのは不自然ですし、無理があります。
「多くの人にはこのように見えているのです」
というように教えるならば分かりますが、
そう見えないのに、そう見えなければならない、
というのは不可能なことなのです。
個々の能力がみんな違うのに、8割の人が出来ることが出来ない場合、
能力が低い、という判断もとても不自然です。
一点で見たときは、確かにみんなが出来ることが出来ないと、
その部分では能力が低いとも言えるかもしれません。
しかし、別の分野では、8割の人が出来ないようなことが出来るような人もいます。
その人がどの分野の能力に長けているかは、
一点だけを見て分かるようなものではありません。
完璧を求めても個体差などから、完璧には出来ないことは沢山あるのです。
■生き物は完璧に出来ない■
人がよく忘れてしまうことは、人は生き物であるということです。
植物を育てても、ひとつひとつが全く同じものなどは出来上がりません。
生き物は、ひとつひとつが微妙に異なる性質を持っているので、
同じにすることが、そもそも出来ません。
同じにするならば、最初の段階ですべてを同じにする必要があるでしょう。
人間なら、同じ性別で同じ血液型で同じ家族に育てられてと、
なにもかも最初に全て同じにしなければいけなくなります。
見るものも同じタイミングで同じにしなければ、捉え方が変わってしまいます。
このように考えると、すべての人を同じにすることは出来ないと分かります。
ひとつ違えばひとつ変わります。
性別が違えば、身体の構造が大きく変わり、物事の捉え方も大きく変わります。
違うということは悪いことではなく、良いことなのだと私は思います。
人がみんな違うから、新しいものを発見できるのです。
それなのに、みんなと同じにしなければいけないという考え方でいると、
そもそも出来ないことを考えているわけですから、
当然、頭の中で思っていることと、現実とのギャップで苦しむことになります。
生き物は完璧にはなれないのです。
むしろ、その状態が完璧と言えるのではないかと思います。
完璧というのも、生き物である人間が考えたものです。
完璧では無いものが考えた完璧も、また、完璧ではありません。
■完璧主義をやめる方法■
完璧主義をやめるには、完璧とは何かを知ることが必要です。
職場の仕事などもそうですが、
完璧に出来ないと怒られたりすることがあります。
特に覚えたてのときは、ミスも多く、それは当たり前です。
知れば出来るような気持ちになるものですが、
実際は知ったとしても、行わなければ出来るようにはなりません。
沢山の本を読んでも、実際に行ってみなければ、
「出来る」
とは言えません。
他人から見て
「この人は完璧だ!」
と思える人も、本人は全く完璧だとは思ってないことが多いものです。
完璧だと感じるものにもレベルがあります。
そのレベルを常に上げてしまうと、いつまでも完璧にならないのです。
完璧というのは誰かが決めたものです。
テストの点数のように、
「100点満点が完璧だ」
とわかりやすい認識であることよりも、テスト以外のことに関しては、
「100点ってなんだろう?」
という状態で100点を目指していることが多いのです。
分からないのに目指していても到達することは出来ませんし、
到達していても気が付きません。
完璧主義な人は、とてもまじめに物事を捉えることがあります。
でも、人は生き物です。
まじめになりすぎると、恐怖が生まれて行動が狭くなっていきます。
「こうでなければいけない」
というのは、その範囲内でしか動けないということです。
その範囲から少しでもズレると、間違えた、ということになるのです。
その調整を面白く出来る人は、完璧を求めるのも楽しめるので、
より完璧なものを求めても、行動を続けることが出来るでしょう。
しかし、完璧を求めているときに苦しくなったり楽しくなくなるということは、
そもそも根本にある考え方が不自然な場合があります。
こどもの頃から、出来なければいけないと言われ続けて、
出来ないとダメな子だと言われると、
人は完璧が正しいことだと思ってしまいます。
能力を高めるのは、本来楽しいことです。
それを楽しく出来なければ、
自分や人を幸せにすることが出来なくなってしまいます。
■能力向上の目的は幸せになる為■
技術や能力を高める本来の目的は、幸せになる為です。
根本に幸せになる目的が無ければ、活力も出ませんし、
矛盾にも気が付きにくくなります。
矛盾に気が付くことが出来るようになれば、
完璧を求めすぎることも減ってきます。
苦しんでいる人の行動は矛盾だらけです。
たとえば、恋人がいるのに浮気をして、
見つかるのではないかとビクビクしている人もいますが、
ビクビクするくらいならば、最初から浮気をしなければ良いのです。
冷静に見れば矛盾だらけの行動に悩んでいる人は多いものです。
もちろん人の心は完璧ではありませんので、間違えることもあります。
だからきちんと考えて、自分が気持ちが良くないことは、
自分で変えていく必要があるのです。
浮気をするのも、自分が恋人に浮気をされても全く気にならない人なら、
浮気をしてもビクビクすることはないかもしれません。
お互いそういうタイプなら、矛盾は無いかもしれません。
しかし、パートナーが浮気をされると嫌だと思っている人なら、
浮気をすればパートナーにとっては嫌な人になってしまいます。
「私は浮気をしてもいいけどあなたはしないで」
という人もいますが、
「自分は良いけど自分以外はダメ」
には矛盾があります。
矛盾のある行為を人は嫌いますが、
自分で矛盾のある行為を続けていると自分のことも嫌いになってしまい、
自分を嫌いになると人も嫌いになり信用できなくなるので、
どんどん苦しくなってしまうのです。
■矛盾すると常に不安になる■
人は矛盾が嫌いなので、矛盾した行動をすると、
矛盾した行動をしている人を好まなくなることがあります。
なぜなら、矛盾には常に不安が付きまとうからです。
人は分からないことには、不安と恐怖を感じます。
矛盾とは分からないことですから、不安や恐怖を感じるのです。
そこから抜け出すには、過去の自分の考え方などを今一度見つめなおして、
矛盾が生じた部分を変えていくことです。
ほとんどが、人に言われた矛盾を矛盾だと思わずに信じ込んでいます。
家族に言われた場合は、その考えに反すれば、
生活がしにくかった場合もあるでしょう。
しかし、今はその考えに合わせる必要が無いのであれば、
本来の矛盾の無い考えに変えて良いのです。
■完璧を求める人は、人にも完璧を求める■
完璧主義の人は、人が何かをするときも完璧を求めます。
完璧というのがそもそも矛盾しているので、
自分が完璧主義を貫くということは、自分の周りの人にも、
また、完璧主義の連鎖を起こすことになります。
完璧主義をしていて、自分も人も幸せになれるなら良いのです。
しかし、自分が苦しんだり、人を苦しめることになるなら、
苦しまない方法に変えた方が楽しいのです。
変えるというのは難しいことですが、
完璧主義を求める人は難しいことを好みます。
難しいことは多くの人がやらない(やれない)ことなので、
行う価値も大きいものです。
自分と人を幸せにする目的で考えると、矛盾は減っていきます。
完璧を求めないように考え直してみると、逆に完璧に近づいていくことでしょう。
完璧主義をやめるには、自分の矛盾に気が付き、
変えていくことだと思います。
苦しむことが出来る人は気がつくことが出来る人です。
苦しみに気が付かなければ、直すことも出来ません。
今苦しいということは、
直すだけの能力がその人に備わっているからだと私は思います。